my name is ysi.

がんばります。

下流志向 1章「学ばない子どもたち」を読んだ

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「それが何の役に立つのですか?」

本・下流志向では、あるキーワードが頻発します。子供達がよく言う「それは何の役に立つのですか?」という問いです。これは小・中学校で先生に対してよく言う言葉でした。この言葉には色々な意味が内包されているということを著者は述べていきます。

 

 

消費主体であることの危険性

「それが何の役に立つのですか?」という言葉は、下流志向では子どもたちが消費主体であることを象徴している。消費主体であるということを著者は危惧しています。消費主体であるということは、「私は時間というものを払います。そちらはなにを払ってくれますか?」という言葉・態度を学校で使用するということです。つまり、「見合ったものを提示しなければ買わないよ」ということを示唆していることになります。

 

タバコを吸う若者が、目の前に証拠があるにも関わらず「吸ってねえよ」と言うことや、がんばって授業を聞かない生徒がいるということは全てこの”消費主体”にあると言っています。

 

金の全能性

著者は子供が消費主体になってしまう原因を幼少期に金の全能性を知ってしまうことにあると論じています。スーパーやコンビニエンスストアで、金さえ払えば年齢や性別などは何も関係なく、同一のサービスを受けることができます。子供はそこで「普段とは違う経験」をすることにより、消費主体としての自己が形成されていくというのです。

 

労働主体というものもあるのですが、現代では電化製品が発達し、母親の仕事は減ったため、子供が何かを手伝おうとしても「なにもしなくていい」という指示が下ることがあるため、労働主体が育たず、消費主体としての自分が主になってくるというのです。

 

 

消費主体が教育まで影響する

何かを支払い、受け取るという行動に慣れた子供は、教育の現場でも同じことを言います。それが大人(先生や親)を困らせる事になります。

 

 

批評:消費主体であることは本当に危険なのか?

たしかに金の全能性を早期に知るということは子供が消費主体になってしまう危険性を秘めていると思いますが、悪いことだけではないと思います。大人が金の概念を知り、子供にたいしてマネーリテラシーを身につかせることによって、金を増やすための労働主体という風に転換できると思います。アメリカでは幼少期から金をもたせることによって金との距離を近づけるそうです。アメリカのGDPと関連があるのかは不明ですが、少なくとも消費主体になって嘆かれるよりもいいと考えます。

 

 

 

批評:消費主体としての質問が知恵を生むかもしれない

消費主体の子供の質問は基本的に「これをどうしてやるのか?」という質問です。これはもう少し進むと、「これでない選択肢はないのか?」という問いに変わります。「もっと楽に、これと同じ効果をもたらす方法」を考え出した子供は、全てから物事を学びだします。孔子は、君子は全てから学ぶといった格言を残しています。消費主体であったとしても、考えを深めればかなり有効な知恵に変換されると考えます。

 

 

不快という貨幣

下流志向では、消費主体の人が集まる家庭では「不快」が貨幣として扱われていると論じています。父親は仕事から帰ってきて「家庭を養うために頑張ってきた、疲れた」という不快という貨幣を提示し、母親は「普段から家事という重労働をやりつつ、子供の面倒を見つつ、不満を口に出さず」という不快の貨幣を提示します。

 

子供の場合は、「ちゃんと学校で勉強してるし、しかも塾で遅くまでやってるよ」という貨幣を差し出す。三者三様の不快の貨幣を差し出し、それが多い人が大きな発言権をもつという仕組みになっている。

 

 

批評:不快という貨幣を使うことに対して

上記のことだが、正直誰も得をしていない。誰も勝利しないゲームはすぐに終わらせるべきだと思います。自分の所属しているコミュニティでこういったことがおこった場合、取るべき行動は

①そのコミュニティから逃げる

②そのコミュニティの中でも不快という貨幣をつかわないようにする

の2つに分別されるだろう。一時的なコミュニティであれば①は有効だが、コミュニティの範囲が家族となれば②を選択せざるを得なくなる。あえて3つ目の選択肢を出すならば、③コミュニティの価値観を自分の手で変えるというものだ。これには2つリスクがあり、自分がコミュニティから追い出されること、一時的に心理的なプレッシャーがかかるということが挙げられる。これをしてもいいのであれば3つ目の選択肢をとってもいいだろう。

 

 

改革しようという問題意識は間違い

よく「教育改革」という言葉が挙げられるが、下流志向によるとそれは意味がないという。著者いわく、根本の思想を把握せずにシステムのみを変えても意味がないという。消費主体である子どもたちを変えるのではなく、教育のシステムを変えるのでは根本的な問題は解決せず、また子どもたちは「それが何の役に立つのですか?」と聞いて大人たちを絶句させるという。

 

 

批評:教育改革に対して

これに関しては半分同意だ。子どもたちの根本的な考えを理解するというのはわかる。しかし、教育のシステムを最初に変えるのではなく、子どもたちが何を求めているかというを把握した上で、それに沿った教育のシステムを変えるべきだと思う。システムが先ではなく、人が先だ。

 

教育に子どもたちを合わせようとするのではなく、今の子供達のニーズに対して教育を合わせていくということだ。教育は1つが答えのものではない。数学の答えの求め方がいくつもあるように、子供が学ぼうとする姿勢をつくる施策は1つではない。