my name is ysi.

大学2年です。今はお金の支出の面で力になることを発信しています。がんばります。

カチとヒトについて

色んなとこで言われるし自分でもそう思ってるのが、「世の中に価値を生み出す」とかそういうやつ。世の中は価値を出してお金をもらうという仕組みになっているらしいから、価値=お金=信用の構造は割と信じていた。でも、一回疑ってみた。疑ってみたら、それをこじらせて

「価値を生み出せないなら価値そのものになってしまえば動かずに生きていけるのではないか」

と考えてしまったのが間違えだった。哲学が始まった。

 

 

価値とはなんなのか、ヒトはカチに成り得た事があったのか

ここで注意したいのは、僕は「価値を生み出す」ではなく「価値そのものになる」ということに目を向けているということだ。価値そのものは目に見えない概念であって、価値は行動しない。目に見えないけど皆が認知していて存在するものだ。

 

価値そのものに近い用語を、脳内の世界史データベースから引っ張り出してみた。まずヒットしたのが王様だった。

  

王様・・・王(おう)は、おおむね国の君主(国王)を指し、その君主号である。また、特定の領土を持たずとも、ある部族や種族の長たる者を王と呼ぶ。転じて、ある特定の分野での頂点あるいは頂点に近い位置にある者、または物を指すこともある。(wikipedia引用)

 

王様はよく象徴として用いられる。でも象徴としての仕事はある。きちんと仕事をしないとそのうち市民に怒られてしまう。やりすぎてしまってギロチン台にかけられてしまう王様もいた。象徴としてのつとめがあるから、やはり行動しないといけない。価値そのものとは言えないなと思った。価値と象徴は違う。

 

 

その後、ヒトとカチが近かった概念として、ヒトを商品として扱った奴隷が出てきた。

 

 

奴隷・・・人間でありながら所有の客体即ち所有物とされる者を言う。人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。(wikipedia引用)

 

奴隷は価値そのものとは全然違う。奴隷は買った人の”所有物”になってしまう。所有物になったらそれはモノで、価値という面で見ると労働力の極端なぼったくりだ。価値という概念には成りえない。 

 

 

どんなに偉い人でも、価値そのものになった人はいないんじゃないかと思うようになってきた。今度は、切り口を変えて人以外の「価値」を考えてみた。

 

 

ヒト以外でカチと評されるもの

人が価値そのものになるのが無理だと仮定するなら、価値と呼ばれるものは人に従属する概念なのだろうか。それで人が作った価値のことを考えてみたけど、全然従属していなかった。法とか文化とか慣習と呼ばれるもの。目に見えないし、法とか文化とか慣習は話さないしどこかに逃げてしまうこともない。しかし、存在してみんなが認知するものだ。

 

なんかおかしい。普通、創造されたもの(法とか文化とか慣習)は創造したもの(人間)に従属するものじゃないか。

 

法律だって誰かが考えたものだし、文化だって誰かが発起人になって人々が作ったものだし、慣習も人が決めたものだ。でも、創造したもの(人間)がそれらに従属している。

 

 

 カチという概念

価値という概念は人の上にも下にも属する、意味わかんないものだということはわかった。でも、自分自身が価値になることは未だに見いだせていない。人は価値そのものにはなれず、所詮「生み出すもの」にしかなれないのかなあと。

 

でも、人の上にある価値(法とか文化とか)と人の下にある価値(自分が作り出したもの)は同じ価値であるということをわすれてしまっている人が多い気がする。

 

同じ「価値」の定義であれば、生み出す存在として「価値は全てコントロールできる」と考えるか人は価値に従属するものとして「価値は全てコントロールできない」のどっちかだ。僕は本質は前者だと思う。法とか文化とか、今まで残っているものの殆どは人が人のために作っているものだと思う。

 

価値と人について考えたけど、人が価値そのものになることは今のところ見つからない。その代わり、価値と人の関係性を考えてみたら割と見落としがちな大事な価値観が見つかった。

 

こういう風に哲学をして戻ってくる時はいつもシンプルな答えで、今回の着地点は「ルールだから」という人ってなんか変だなあと思っていたことを言語化しただけだった。

先生が「ルールだから」と言ってることに対して感じる中学の反骨精神と同じものだった。