my name is ysi.

大学2年です。今はお金の支出の面で力になることを発信しています。がんばります。

ポジショントーク

世の中はポジショントークにまみれている

人間が社会的な生き物で、何らかのコミュニティに属していて、世代の中で流行っているものがあるなら、当然10代と50代でポジションが違う。これは「学生」というのもポジションだし、「経営者」や「先生」とかも全部ポジション。

 

 

 

儒教的な教えが日本には浸透しているので、「年上だから、尊敬する」という一般的な考え方も日本人というポジションの中ではよくある話だし、みんなそれに対して何も疑わずに、そういう常識の上に生きていることが多いです。

 

常識の上に生きていていいんですか?とかではなくて、人間が全てにおいて千差万別ならば秩序は生まれないし、常識とか普通とかいう言葉も生まれない。ポジショントークは多くの場合、コミュニテイに秩序をもたらすので良いことだと思っています。

 

 

ポジショントークを信じすぎる弊害

しかし、ある一つのものに正解を求める時、AにするかBにするかという選択がトレードオフの関係にある時、ジェフ・ベゾス的に言うと「戻れる選択」なのか「戻れない選択」において、一度決めたら「戻れない選択」だった場合、どちらかを捨てないといけません。

 

少し前からメディアに従順な人が多いので、通常はメディアが煽った未来になることが多いです。それに、民衆には大して大きな影響はないので暴動などは起こりません。それでわかりやすいのはマーケティングでよく知られるCMです。あれは企業のマーケティングだと知っているならまだしも、CMで流れるくらいだから正しい、と判断する人も少なくないと思います。

 

ニュースやCMXという未来が煽られると自然にそうなるであろう、と考える人が増えるので、通常はXという未来になります。全くすべて嘘のフェイクニュースを流すということもないので、世の中の人は自然にそのXという未来を受け入れます。

 

しかし、多くの人がXという未来を予想していても、Yという未来が来る可能性を根拠をもって示せるというというパターンがあります。しかもこの時に、エビデンスがないままメディアがXという未来が来ると主張している場合、悲惨なことが起こりがちです。

 

今から70年くらい前、そんなことがありました。太平洋戰爭です。「ちょ、ロシアにも勝ったし勝てるっしょw」くらいに思ってた一般人が多そうですが、あれはポジショントークを信じすぎて日本人が頭悪すぎた例だと思っています。知識や情報が民間人に流れ出ることはなかったと思いますが、頭いい人のなかでは資源とかの計算すれば長引いた時点で無理だということはわかってたと思います。それ以外にも理由はあると思いますが、ポジショントークを信じすぎの例としてだしてみました。

 

 

「ポジション」との付き合い方

ポジショントークをしすぎるとそのポジションに固執してしまうということもあると思います。今の大企業の粉飾決算などはそういったポジションを守ろうとした結果としてでたボロかなと思います。それに対抗しうるのはエビデンスの存在だと思います。高度経済成長が「日本人の凄さ」ではなく「労働力の多さ」「市場の大きさ」などに原因があったように、なるべく数値的なエビデンスが用意できるといいです。エビデンスだけがポジションに勝ちうる可能性がある。

 

少なくとも、頭を使って働く人や機関が「やる気」とか「気合」とかしか言わない状況ってかなりやばいと思います。これは国の場合だけでなくて、組織においてはどんな規模のものでも言えると思います。部活でも学生団体でも企業でも、ポジションのみでできている組織はよくない方向に向かうはずです。

 

秩序を守るためにポジションはとりつつ、エビデンスのある提案は立ち位置関係なく採用するということができる組織がいわゆる「柔軟な組織」なんだと思います。

 

という功利主義の人間のポジショントークでした。